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物語の舞台となるヴェニス(イタリア語ではヴェネツィア)は、1797年にナポレオンに侵攻されるまで約1000年間、ヴェネツィア共和国の首都として栄えました。中世においては、ヴェニスはパリに次ぐヨーロッパ第二位の都市として「アドリア海の女王」と讃えられたほどです。
そして、その繁栄の原動力となったのが地中海を中心とした貿易です。ヴェニスは交易の街・商人の街。かのマルコ・ポーロも、ヴェニスの商人のひとり。物語冒頭でも、多くの商人たちが広場を行き交うシーンが見られます。
また、同時に法の街でもありました。厳格な法律が支配し、たとえ元首の息子であっても、法を犯せば平等に処罰されました。この厳しさが、物語のクライマックスである裁判のシーンに、より一層の緊張感を生み出しているのです。
劇中では、ユダヤ人のシャイロックとキリスト教徒のアントーニオーやバサーニオーらヴェニスの商人たちが激しく対立します。なぜ彼らは憎み合っているのでしょうか?
日本人からすると、ユダヤ教とキリスト教は同じ『旧約聖書』を聖典とする仲間のような気がします。しかし、行動・行為を重視するユダヤ教に対し、キリスト教は信仰を重視するなど、実際には大きく異なる面が多々あります。
そして、ユダヤ教徒とキリスト教徒を隔てているもっとも大きな壁、それが「ユダヤ人がキリストを殺した」というキリスト教の考え方です。裏切り者・ユダ、死刑を宣告した大司祭カヤパ、「十字架につけろ!」と叫んだ群衆たち、彼らはみなユダヤ人とされています。キリスト教徒がユダヤ人を蔑んでいるのは、“汚い金貸し”というイメージ以上に、こうした宗教上の理由があるからです。
では、なぜ「ユダヤ人=汚い金貸し」というイメージが根付いたのでしょう? それは、差別と迫害の歴史と深く結びついています。
ローマ帝国への反乱に敗れ、世界中に離散したユダヤ人たちを待っていたのは、キリスト教社会での徹底的な差別でした。「キリスト殺し」の汚名を背負わされ、住居も定まらず、職業も制限されました。そんな彼らにとっての唯一の生きる道、それが金融業だったのです。
キリスト教では、金を貸して利子で儲けることは罪悪と考えられていたので、キリスト教徒は金融業に従事することを嫌いました。その嫌がる仕事を引き受けたのが、ユダヤ人だったのです。
しかし、中世になり金融業の重要性が高まるにつれ、シャイロックのように財産を築くユダヤ人も珍しくなくなります。そして、反比例するようにキリスト教徒からの反感も募っていきます。シェイクスピアが生きた頃のイギリスでは、ユダヤ人の入国を制限していたほど。『ヴェニスの商人』は、ちょうどそんな時代を背景に描かれた作品なのです。
アントーニオーがシャイロックから借りる3000ダカット。ダカットとは、13世紀にヴェネツィアで製造された金貨のことです。では、3000ダカットとはどのくらいの値打があったのでしょう?
15世紀のヴェネツィア共和国の国家予算が約80万ダカット。貴族以外の市民がなれる公務員の最高位「書記官長」の年収が300ダカットです。一般市民の生活費は、せいぜい数十ダカットで足りました。つまり、超エリート公務員の年収の10年分、庶民であれば一生遊んで暮らせるほどの額、現在でいえば数億円の価値があったと推測されます。劇中では金貨の入った袋を投げたりしていますが、実は、びっくりするほど巨額の取引なのです。