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About "THE MERCHANT OF VENICE" INTRODUCTION イントロダクション

その男、シャイロック。守銭奴か、哀しき流亡の民か。

『ヴェニスの商人』。その物語は一般的に、悪質高利貸しシャイロックが裁判で敗北する勧善懲悪の喜劇として人口に膾炙されています。しかし、浅利慶太はシャイロックに刺激的な主人公像を見出し、まったく新しい演出に挑みます。それは、「シャイロック=被差別人」であるという解釈。初演当時、一見、牽強付会ともいえるあまりに斬新な演出は、演劇界に大きな衝撃を与え、賛否両論、様々な波紋をよびました。

本作の演出に際し浅利は、登場人物たちの行動理由や必然性が、従来の解釈でははっきりと見えないことに疑問を呈しました。そこで従来のシャイロック像を見つめ直し、当時の社会環境―ユダヤ人蔑視―の立場で物語を視ることが有効であるという結論に至ったのです。
浅利は当時のプログラムの中でこの演出にこだわった理由を以下のように述べています。

実は、私は芝居解釈をするのにその時代の社会環境、経済問題、歴史的事件などに依るのを極度に嫌う人間である。芝居は芝居として、作品は作品として成り立つ宇宙があると信じ、実証主義の浅ましいナイフで芸術を切り刻むのを嫌うことに関しては人後に落ちぬ心がけをもっている。だが、『ヴェニスの商人』の場合、こうしたことが演出家として抱くいくつかの疑問を解いてくれる。(中略)

憎悪し合う者同士が金の貸借をもせねばならぬ必然性とリアリティ。
父親を捨て、民族のモラルを捨てても宗教を変えたいと欲する娘の行動の必然性。
決して他人に悪意をもたぬ善意の人間たちがユダヤ人を極端に迫害することをむしろほむべき行動と信じていることの必然性、etc.etc.……

いかなる古典の名作といえども、今日の観客の感覚のリアリティを喚起しなければ今日演じられる舞台としては存在しない。
(初演プログラムより)

浅利の演出は、登場人物たちの存在理由、行動理由を説明するための正統な解釈を試みたもの。しかし、いくら有効といえども、作家が希みもしない人物像を表現することはできません。たしかにシェイクスピアが綴った物語の中にはユダヤ人に対する憎悪が根底に流れています。一方で彼の才能は、その憎むべきユダヤ人の悲しみまでも書き込んでしまっていたのです。浅利は、シャイロックという魅力的な主人公として表現し、物語を再構築しました。

シェイクスピア作品がたたえる無限とも言うべき解釈の可能性、そこに、これまで誰も見出さなかった視点で挑んだ浅利慶太の演出が、勧善懲悪を超えた深い人間ドラマを生みだしたのです。

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