中浜慶和さんもまたジョン万次郎のひ孫にあたり、阪神・淡路大震災を契機に講演を通じて防災の重要性を訴えていらっしゃいます。舞台をご覧になった感想をうかがいました。
「あの、もう最初から僕は胸が詰まってしまって・・・。
14才の子どもが、足摺の一介の漁師の子どもが、嵐にあってホイットフィールド船長に出会ったということ、そしてデモクラシーを学んでいったと言うこと、その生活といったようなものを私はもちろん書物や話で知っておりました。
今日は、ステージを通じてもう一度万次郎を再確認するというのか、そういう思いを深く受けています。」
――「ジョン万次郎さんご本人にかかわるエピソードがあれば」
「もちろん私は万次郎とは本を通じてしか会ったことがありません。それから父も、会うことは叶いませんでした。
父からは、よく万次郎の話を聞きました。万次郎がどうして日本に帰ってきたのかということは、今日のこのステージでも言っていました。
まず第一番に、やはり母親に会いたかった。母に会いたいという気持ちは一日も忘れることはなかったと思うんですね。
同時に、優れた世界、日本と大きく異なる世界を体験した。このことを日本に伝えたい。長い期間、アメリカで生活したときに、日本というものを常に胸の中に思い起こしていたと思うんですね。
そういう二つの思いというものが、万次郎を動かして来たんだということを、父も私が小さい頃から話してくれました。」
幼い頃より、万次郎について様々なお話を聞いていらっしゃった中浜慶和さん。かねてより万次郎に対する一つの謎がある、とのこと。
「ホイットフィールド船長は、どうしてもこの万次郎をアメリカに連れて行って教育を受けさせたいと思っていました。こういう思いがあったので、万次郎と話をして、万次郎に決めさせようと伝えたわけです。
それに対して、あの14才の、片田舎の漁村の少年がね、いうなれば『イエス』と言うわけです。
これはどうしてなんだろう?
私が万次郎の立場で、外国人なんて見たこともない、いろんな悪い話を聞いている、鎖国しているんだから。また罰せられるということも聴いているにも関わらず、『行きます』という自分の意志を表明したというのが、どうしてなんだろう、と。これが私には解けない一つの謎なんです。
それについてずっと私は、万次郎に『海』というものを通じて何か学んだことが何かあるはずだ、と考えています。
万次郎が少し勇気のある少年であり、好奇心があるというのは『海』を見ていたからだろうと思わざるを得ないんですね。しかも相手も船長という海の男であったと。
単なる一人の少年と一人の船長との出逢いというものが、日本とアメリカの関係の最初だということは、僕はものすごい象徴的で極めて重要なことだと思います。
何か偶然と言うことではないような、素晴らしい何かがある、何かがこういう出逢いを作ったというような気がしてならないです。改めて海の広さというものを私は感じ取りました。」
「今日のステージを感謝しています」と何度もおっしゃりながら、劇場を後にされた中浜慶和さん。ご子孫だからこそ知っていらっしゃるエピソードや思いをうかがい、関係者一同感銘を受けていました。