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現代を代表する作家ピーター・シェーファー。アカデミー賞8部門を受賞した「アマデウス」や「フォロー・ミー」といった映画の原作者・脚本家としても知られる彼は、多数の戯曲を世に送りだしている。劇団四季は、彼の作品では『エクウス』の他に『ブラック・コメディ』を、そしてピーターの双子の兄弟アンソニーによる『スルース(探偵)』をレパートリーとして有している。

この『エクウス(馬)』の戯曲冒頭においてP.シェーファーは、着想時のことを次のように記している。
「二年以上前になるが、あの週末、私は友人と二人で、淋しい田舎道をドライブしていた。われわれは、とある厩舎の前を通りすぎた。それを見て友人は突然、最近ロンドンの晩餐会で聞いた、驚くべき犯罪のことを思い出した。彼は、その細部の恐ろしい一点だけしか知らなかったし、話は全部で一分とかからなかった−−しかし、それは私の強い興味をかきたてるのに十分だった。
事件は、数年前、極度に精神不安定な若者によってなされたもので、その地方の法廷に大きなショックを与えた。しかも、事件には筋のとおる説明がまったく欠けていた。(中略)私は、それをなんとか私なりに解釈したいという、強い欲求に駆られた。そのためには、その行為が納得いくものとして通るような心理的世界を創造しなければならなかった。」(倉橋健訳 台本より引用)
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P.シェーファーは友人から聞いた1分足らずの世間話から、現代に巣くう種々の問題、人間たちの苦悩を、抽象的手法を用いつつ日常性の中に生み出したのだ。
少年アラン、精神科医ダイサートのみならず、アランの父母、厩舎の経営者ダルトン、アランを誘惑する女性ジルといった、現代社会のどこでも見られる人間性を持つ人々をリアルに描き出し、さらに彼らが相互に関係する中に生じる、夫婦関係のひずみ、親子関係における抑圧、少年が成長過程において抱え込む不安や恐れ、物質的生活に隠された真の欲望、渇望といった、事象の裏に潜む問題を鋭角的に浮かび上がらせる。 |
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登場する人物は皆、日々を「正常」に暮らし、その「正常」を疑いもしない。しかし少年アランの「異常」な行為の原点をあばく過程で、それまで信じていた「正常」が果たして本当に「正常」なのか、アランは「異常」なのか、さらには、アランを改心させることが正しい事なのか、問題それ自体が表裏反転するような感覚にとらわれていく。
『エクウス』が描く問題は、おそらくいつの世にも通じている。それはこの作品が問うているのが“現代”だからであり、またそれは、現代が根源的に病んでいることを示している。近代後の進歩による幸福が生み出す病理を、そして現代を、シェーファーは告発しているのだ。 |
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| PHOTO BY 上原タカシ |
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